新しい一年のはじまりに―大学教員として紡ぐ未来―
2025年が始まりました。新年最初の投稿は、私が教員生活の中で大切にしている『ある経験』について書きたいと思います。ちょうど四半世紀前の出来事です。この節目の年に、私の経験を皆様に共有することには、特別な意味があると考えています。
その経験は、私が修士課程2年生だった頃のことです。修士論文と修論発表会を控えた1月、正月明け早々に私は研究室に出向き、追い込みの実験をしていました。操作をしていると、ふと私の携帯電話が鳴り、画面にはA君の名前が表示されました。
A君とは学部1年生からの同級生で、学部卒業の際には一緒に卒業旅行に行くほど親しい間柄でした。A君の所属する研究室は私が所属する研究室の斜め向かいにあり、日々交流を重ねていました。
そんなA君から正月早々電話が鳴ったので、「新年会のお誘いかな」などと思いながら電話に出ました。すると電話口からは女性の声が聞こえ、「赤木さんの携帯でしょうか。私はAの母です」と告げられました。そして次の言葉を聞いて、私は絶句してしまいました。
「昨夜、Aが亡くなりました。」
言葉を失った私は、お母様のお話を黙って聞くことしかできませんでした。
実家を出て一人暮らしをしていたA君は、もともと持病を抱えていました。年末に体調を崩し、自ら病院を受診したそうですが、懸命な治療の甲斐なく帰らぬ人となってしまいました。25歳という若さでした。
後日、A君のご両親が治療にあたった担当医とお話するとのことだったので、私も同席させていただきました。詳しい経緯をうかがいましたが、とにかく残念で無念な気持ちでいっぱいになりました。
私は修士修了後、他大学の博士課程への進学が決まっていました。実はA君も私と同じ大学院への進学が決まっていました。そして彼は、自身が幼い頃から付き合ってきた持病の研究に携わろうとしていたのです。患者として長年この病と向き合ってきた経験を活かし、同じ症状で苦しむ人々のための研究の第一歩を踏み出そうとしていた矢先でした。皮肉にも、その持病により、最も携わりたかった研究に触れることなく他界してしまいました。この理不尽さは、時が経った今でも忘れることができません。
一般の方には実感し難いかもしれませんが、修士論文や修論発表会を前にした大学院生には、想像以上のプレッシャーがかかっています。あらゆる締切が目前に迫り、焦る気持ちが日々積み重なっていきます。そんなプレッシャーの中、きっとA君は体の不調を自覚しながらも、相当の無理をして修論の準備をしていたのではないかと思います。
私が大学教員となり、学生を指導する中で、その根底には常にA君との経験があります。研究の話だけでなく、日々の雑談を通して、それとなく学生の様子をうかがうようにしているのも、あの日の経験が教えてくれたことです。
幸いなことに、私が指導している学生たちは、みな上手に研究に向き合っています。実験がうまくいかない時も投げ出すことなく、試行錯誤を重ねながら前に進もうとする姿勢は頼もしく感じます。また、研究室の仲間との時間を大切にし、趣味や運動など自分の時間も確保しながら、充実した研究生活を送っているようです。
一方で、世の中を見渡してみると、必ずしもそうではない大学院生も少なからずいるようです。「就職活動がうまくいかなかったから」「なんとなく学部の延長で」といった理由で進学し、研究にさほど興味がないまま日々を過ごしている人もいます。
世の中には、経済的な理由や家庭の事情で、どんなに研究がしたくても大学院に進学できなかった人がたくさんいます。また、学部生の時に病気や事故に遭い、夢半ばで研究の道を断念せざるを得なかった人もいるでしょう。
これは大学院生のみならず、学部生にもあてはまることですが、私たちは、自分が研究に専念できる環境がいかに恵まれているかを、もう一度よく認識する必要があります。研究室という場所は、同じ志を持つ仲間と切磋琢磨しながら、自分の興味のある分野を深く追求できる貴重な場所です。
A君との経験は、大学教員になった私に課せられた一生の宿題のように感じています。完璧な答えはありませんが、この経験が問いかけてくることと、これからも向き合い続けていきたいと思います。
大学院への進学を考えている方は、この2年間は自分が主体的に選択した大切な時間であることを強く意識して頂ければと思います。研究には真摯に向き合いながらも、自分の体調管理やプライベートな時間も大切にしたらよいと思います。仲間と支え合い、時には息抜きをしながら、充実した研究生活を送っていただきたいと思います。そして、そうして過ごした日々は、皆さんの人生の財産になると思います。
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