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【1】アメリカ研究留学への道:ラボ選びと面接の舞台裏

執筆者の写真: Akagi LabAkagi Lab

更新日:2024年10月19日

20年前の留学体験から学ぶ、今に通じるリアルな教訓


今から約20年前、2005年から3年半ほど、アメリカに研究留学していました。当時は今のようにSNSが盛んではなく、スマホもまだ登場していない時代でした。初代iPhoneが発売されたのが2007年で、私がアメリカにいたとき、そこで初めてiPhoneを見ました。すごく衝撃的だったのを覚えています。


先日、ノートパソコンのファイルを整理をしていたら、なんと留学準備のときに自分で書き残してたファイルが出てきました。これは、まさに”私の歴史的記録”。せっかく見つけたので、少し手を加えながら、ラボ選びや留学初期のエピソードをシェアしていきたいと思います。


20年近く前の話ですが、今の皆さんにも役立つことがあるかもしれません。これから数回に渡ってアップして参ります。ぜひご覧ください。


七転八倒・悪戦苦闘 アメリカ留学「立ち上げ」日記①


【1】アメリカ研究留学への道:ラボ選びと面接の舞台裏


Tadayuki, Great.” 私のアメリカ留学準備は、この一言から始まった。


1. 研究室選び

2004年6月、私は博士の学位を修得後、1年契約で、出身研究室(横田崇教授)でポスドクをしており、翌年の春を目標に海外留学を考えていた。博士課程では「ES細胞の自己複製」に関する研究を遂行していたが、もともと細胞の増殖や分化、がん化などの分野に興味があったので、次に研究場所を変えるときは、ES細胞ではなく体細胞の分化やがん化の研究に従事したいと考えていた。


PubMedで様々なキーワードで論文を検索し、誰がどのような研究をしているのか、徹底的に検索した。そんな時、ふと”Dr. Koeffler”という名前を思い出した。直接Dr. Koefflerとは会ったことはなかったが、私の学部時代の恩師である山田道之教授がよく口にしていた名前だった。Dr. Koefflerは転写因子C/EBP epsilon cDNAを単離後、精力的に顆粒球分化や血球のがん化の解析をしている医師であり研究者であった。


さっそく横田教授並びに山田教授に推薦状を作成して頂き、自分のCV(履歴書)と論文の別刷を同封して、ポスドクのポジションに空きがあるか否かの問い合わせを、エアメールにて郵送した(→注釈:e-mailではなく、紙媒体のエアメール!)。2週間ほど経ったある日、Dr. Koefflerの秘書の方からe-mailで返事が来た。その回答をかい摘んで訳すと・・・


この度は、ポスドクの問い合わせありがとうございます。もしあなたに研究に対する強い情熱があり、積極的な探究心があるのなら、我々の研究グループに入って頂けることを嬉しく思います。しかし、私どもには、どんな研究者であっても、雇うのに十分な費用がありません。なにか研究費はお持ちですか?


と言った内容だった。もちろん、私は海外で利用できる研究費、ましてや生活費など皆無だった。早速、いくつかの海外留学助成金を調べ、申請の準備を始めた。同時にその旨を秘書の方に伝えたところ・・・


早速の返事ありがとうございます。また研究費を探し始めたとのこと嬉しく存じます。しかし私どもの経験上、日本では研究費を獲得するのは、難しいと思います。そこで2つほど質問があります。(1)あなたはいつ頃からの留学を考えていますか?(2)また研究費が獲得できるまで、私どもはどの程度生活費を補助すれば良いですか?


という返事が返ってきた。「ん??ちょっと脈ありな回答だぞ?」そう思った私は、来春から行きたいという意志と、親子3人で暮らすのに適切な額が欲しいと伝えた。さらに、研究助成の書類を準備し始めていることも付け加えた。そしてこのメールに対する返事が、秘書さんからではなく、Dr. Koeffler本人から来たのだ。それが”Tadayuki, Great”だった。それ以降、常にDr. Koefflerと直接メール交換をするようになり、interview(面接)までなんとかこじつけることが出来た。


2. 面接準備

2004年10月、私にとっては人生初の渡米だった。海外旅行など大学の卒業旅行でオーストラリアに行ったくらいで、論文こそ読めても、とても面接を受けるほどの語学力があるとは思えなかった。しかし、そんなことは言っていられない。とにかく発表用スライドを準備し、なんとか英語原稿だけは作成した。そしてなにより、面接と同時に私はどうしても聞かなければならない事があった。それは「研究費を取れなかった場合に、果たして雇ってくれるか」という点であった。私にはとても自費留学できるほどの財力はないから、なんとしてでも研究費を獲得するか、先方から経済的支援をしてもらうしかなかった。大きな不安を胸に一人成田空港を離陸した。


約10時間の飛行の末、ロサンゼルス国際空港(LAX)に到着した。Dr. Koefflerはカリフォルニア大学ロザンゼルス校(UCLA)医学部の教授であり、その関連病院であるCedars-Sinai Medical Centerの血液学・腫瘍学部門の部長でもある。Cedars-Sinai Medical CenterはLAXから車で1時間弱のところに位置し、ハリウッドやビバリーヒルズが目と鼻の先という、なんとも立地条件の良いところにある。幸い、当時Dr. Koefflerのラボには二人の日本人研究者が留学しており、空港まで車で迎えに来て下さった。


とにかく、渡米初日は時差ぼけもあり、次の日の面接に備え、早々にホテルにチェックインし休むことにした。


(写真:Cedars-Sinai Medical Center)


3. 面接日当日

緊張に加え時差ぼけも相まって、充分に睡眠は取れなかったが、少し早めに起床し、軽く朝食を取った。そして、面接時間の30分ほど前に、ホテルのフロントへタクシーを呼ぶよう頼んだ。すると、ホテルのフロントは「どこへ行くのだ?」と聞いてくる。「Cedars-Sinai Medical Centerだ」と答えると、「タクシーは高い。ここからならバスを使って、1ドル25セントで行けるから、バスで行け」と、親切に教えてくれた。1ドル札も25セントコイン4枚に両替までしてくれた。時間もギリギリだし、バスの乗り方や降り方も分からないから、本当はタクシーで行きたかった。しかし、親切心と安さに負けてしまい、バスで行くことにした。


余談だが、後にこのエピソードを研究室の方々に話すと、「確かに、ホテルのフロントは正しいし、とても親切だ。でもバスでここまで面接に来たのは君が初めてだ。」と笑いながら話していた。


無事研究棟に到着し、いざ入ろうとしたのだが、扉が開かない。セキュリティーが厳しく、IDカードが無いと入れない仕組みになっていたのだ。入り口であたふたしていると、一人のアメリカ人がタイミングよく研究棟から出てきた。その人が私に何かを問い掛けてくる。しかし何を言っているか分からない。私も舞い上がっているから、なんと言っていいか分からない。ただ一言耳に入ってきた言葉が「Tadayuki?」だった。そう、偶然出てきたアメリカ人というのは、まさに今日会うDr. Koefflerだったのだ。ちょうど自動販売機にコーラを買いに出てきたそうだ。そして「これは君が渡米して初めて受け取るプレゼントだ」と言って、コーラを一本差し出してくれた。医学部教授で相当の大御所なので、私は勝手に年老いた頑固タイプを想像していた。ところが、予想は全くはずれ、背が高くすらっとした、グレーヘアーの紳士的な教授だった。


簡単な挨拶をしたのち、一通り研究室内を紹介して頂いた。そしていよいよ私の研究発表となった。発表の部屋には、15人くらいだろうか、スタッフやポスドクの方々が続々と集まってきた。研究内容は熟知していても、英語の発表は初めて。ミスは多めに見てもらうとして、とにかく大きな声でハッキリと自信をもって発表することを心がけた。もともと汗っかきの私だが、慣れないネクタイなどしているものだから、汗だくで発表した。30分程度の発表の後、だいたい予想していた質疑も終わったところで、皆が部屋を出てった。何人かに「Nice talking!」という言葉を頂いた。御世辞だと分かっていても、嬉しい一言である。


 

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4.面接が終わって

「ランチに行こう」Dr. Koefflerに誘われるがまま、外へランチにでた。基本的にはお褒めの言葉を頂き、ホッとしながらのランチだった。ふとDr. Koefflerが私に「何か聞くことはないか?」と聞いてくる。「今しかない!」そう思った私は、すかさず「私は、細胞の増殖やがん化のメカニズム解明に関する研究に従事したい。いろいろ研究費申請はしているが、取れるかどうかは分からない。それでもあなたの研究室で研究活動をしたい。研究費がとれなくても、雇ってくれますか?」と、カタコトの英語で誠心誠意伝えた。その答えは「Of course」だった。そして「日本で研究費を取るのは難しい事がよく分かっている。君は基礎がしっかりしているから、私の研究室で研究をしたらいい。」とのコメントをもらった。一気に肩の荷が下りた気がした。


その日の夕方、日本人研究者の方にビバリーヒルズやハリウッドへ、観光に連れていって頂いた。初めてのロサンゼルスに感動もあるが、それ以上に気になる点が一つあった。Dr. Koefflerのラボには頻繁にポスドクのポジションの問い合わせが来るのだが、そのほとんどは自費留学か、研究費を持ってこない限り、面接をすることなく断っているらしい。そんな中、ポスドクを募集していたわけでもなく、私自身たいした業績もないのに「なぜ自分が?」という疑問が残っていたのだ。それを日本人研究者の方に伺ってみた。するとその答えは「本当のところは分からない。だが私が思うに、アプリケーションの仕方が良かった。最近の日本人は、e-mailで簡単に問い合わせをしてくる。でも赤木先生は違った。例え問い合わせでも、CV、推薦状、論文別刷の3点をきちっと書面で揃えていた。その姿勢がまず評価されたのだと思う。」とのことだった。なるほど、確かにe-mailは早いし、お互い楽だと思いがちだ。しかし、本当に行きたいラボであるなら、最初から正式な書式で問い合わせるのが、最低限のマナーなのだな、と感じた。


こうしてなんとか「ジョブハンティング」は成功に終わり、再び日本へと戻ったのだ。



続きは

へ続く!


(写真:ハリウッドサイン)

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